2017年08月12日

プーク人形劇場*海外特別公演「マチルダ」を鑑賞してきました。*

留守にした数日間を、どう自分なりにまとめようか
今これを書きながらうんうん悩んでいます。
無駄に思うことが何一つなく、
またひとつひとつ取り残しがないように、
残さずすべてを吸収しようと反芻し、解釈し、
自分の体やこれからの栄養にしようとしています。
それは幸せな瞬間でもあり、現実に対峙する苦しい時間でもあり
だけれど無碍にしてはいけない大切な一コマでもあります。


IMG_2616_20170812212214a80.jpg 

私は新宿にある人形劇場<プーク>に来ていました。

人形劇団プーク

人形劇を見るのはもう10年以上ぶりですが、
自分が人形作家と少しずつ呼ばれることが多くなり、
少なからず人形に物語や世界観を持たせているからには
ここから学ぶことはあまりにも多く、
観劇した今、効果的な俳優としての劇人形と
インテリア・遊び相手としての人形には
はっきりとした違いがあり、役割もまた違うと感じました。


IMG_2615_2017081221215894c.jpg 

私が観劇したのは<マチルダ>という物語です。
人形師はオランダを中心に活動している
<ネヴィル・トランター>さんです。
ネヴィルさんは劇中、一人で多くの人形を操ります。
また彼自身も一人の効果的な俳優として出演するなど
独自の方法で劇を表現されています。


マチルダの日本での公演は終了し、
次はどこか外国で公演されるようなのですが
ネタバレは控えますね。


***

あらすじ

劇<マチルダ>は、老人ホーム
「カーサ・ヴェルデ(緑の家)」を舞台とし、
102歳の誕生日を迎える一番の長寿マチルダを中心に
個性的な入居者、その家族、
経営者であるいじわるな所長、葬儀屋、
薄給に怒る看護師(人間が演じる)
謎の黒い服を着た男(ネヴィルさん演じる)を通して
物語は進展していきます。

102歳の誕生日を迎えるその日、
新聞社から取材が来ることとなっており
宣伝になると息まいた経営者たちにより、
数々の風船と花が飾られていました。
そして入居者全員に携帯がプレゼントされたのです。


***


IMG_2589.jpg 

物語の中のキーアイテム。携帯電話。
発展しすぎたテクノロジー。
それについてくことが難しくなったご老人は
社会的に取り残されていきます。


IMG_2588.jpg 

携帯電話を扱うことがかろうじてできたマリー。
彼女は新聞社にこの施設のひどさを告発しようとしています。

ケチでお金のことしか考えない経営者と
その恩恵にあずかる葬儀屋は、
唯一の看護師をクビにする代わりに
入居者全員に携帯電話を持たせることで
経費を削減しようと考えました。
各々が必要な時に電話で助けを呼べばよいのです。
入居者が電話を使えないかもしれない?
それならなおよかった!

***

IMG_2582.jpg

劇中の大半を懸垂にぶら下がって過ごす
彼女はマチルダ。御年102歳。
認知症により短期記憶を保持的ない代わりに
若い頃の恋人、戦死したジャン・ミシェルを
今も待ち続けています。

マチルダは快活で楽しいお話ではありません。
老人ホームという、ある意味閉鎖的で
この世界から隔絶されている施設の中で、
<わからなくなってしまっている>ご老人たちが
どのように過ごし、どのように扱われているか、
極端ではあるものの、リアルに表現されていました。


IMG_2587.jpg 


IMG_2583.jpg 

ケチな経営者と葬儀屋。
マチルダがリアルな造形で表現されているのに対し
彼は非常に戯画的に表現されています。
人形は誰から見てもその人形がどんな存在か
一目でわかるよう、アイコン化されています。
身体的言語がすべての人形劇では、
そのフォルムは非常に重要な要素です。

親切に尊敬をもって接することを忘れた施設では、
人生のハイライトを強く心に残したままの
入居者たちが過ごしていますが、
それを分かち合うように、喜ぶように、理解するように
心寄せて過ごそうとする者はだれ一人おらず、
みな内なる世界に没入していています。
軌跡あるからこそハイライトがあるものですが、
その尊厳を誰も守らない・守れないのでした。


IMG_2579.jpg

入居者の一人、ミスター・ロスト。
閉じ込められた彼はこの世界から完全に隔絶されています。
呼びかけてもその扉は開くことがなく、孤独です。
レオンというライオンのパペットをそばに置いています。 

そのハイライトの中で生き続ける入居者たちは
「ご老人」であることを忘れ、皆若返っています。
その有り余る若者の心・勢い・エネルギーを
「わからなくなってしまっている」がために表現できません。
また正しく物事を理解し、保持することが難しいので、
暴れたり、人を盗人扱いをしたり、罵倒したりします。
ですが、表現し疎通できないものの
外部からの雰囲気や思い、考えなどを時々察知できます。
その時ばかりは今に戻って、
状況を正しく理解することもあります。
それは本当にわからなくなってしまっているといえますか?


IMG_2572.jpg 

それが象徴的だと思ったのは、
新しい入居者であるダウン症のルーシーのエピソードです。
兄のヘンリーは彼女に人生をささげてきましたが、
余命2週間で彼女を見届けることができなくなりました。


IMG_2584.jpg 

兄のヘンリーは、この施設がどんなところが知らず
ルーシーを預けることにしてしまいます。
ルーシーは純粋な気質だけを残し、
やはりわからなくなってしまっていますが、
「1週間に1度は必ず会いに来て、
クリスマスやイースターには
大好きなわんわんと一緒に遊びに行って過ごそうね」
優しい嘘をつくヘンリーのやるせなさや悲しみを察知し
彼を抱きしめ「泣かないで」と寄り添った後、
失禁してしまいます。

今までそんなことはなかったのに、とヘンリーは
愕然とするのですが、それは彼女がこの状況と
隠された事実を言語外から察知したからだと思います。
またヘンリーはネヴィルさん演じる
「黒いスーツを着た男」を見ることができる
限られた役でもありました。
もう一人はマチルダでした。


閉鎖された空間の中に閉じ込めておくには惜しいほど
入居者一人一人の人生は複雑で素晴らしいものであるのに、
それを知るものは数少ないのが心苦しく印象的でした。
先述したように、
わからなくなってしまっているがために、
共有することも教えることも、
訴えることもできなくなっているからです。

これまでの彼らの過去、また心情を理解できるのは
前提として物語を知りえる観客と、黒いスーツの男、
そして宿す本人たちにしか知りえないのがまた心苦しいです。
物語は余白を残し語りつくされる前に終わるのですが、
その施設を取り巻く人々の未来を見ることができるのは
彼らより一つ高次の次元にいる黒いスーツの男です。
そして黒いスーツの男は、ある意味でその行く末を想像
予想できる観客の私たちとも言えます。

多くの想像力を必要とする、
説明的でなく余白を多く残したシンプルなこの劇は、
劇だからこそ活きるシナリオでした。
演者であるネヴィルさんの手腕は素晴らしく、
筋の通った論理的な舞台設定であることがわかりました。
だからこそ一定のクオリティを保って公演ができ、
繰り返し再現ができるのだと思います。


IMG_2571.jpg 

マチルダが大事にしていた赤毛のかわいい人形と
幸せな施設の象徴として迎えられた、道具としての子犬。

劇が始まった30秒ほどで(まだ物語は何一つ進展してません)
私は涙が止まらなくなったのですが、
圧倒的な存在感を放つ人形たちに心奪われてしまいました。
シンプルな素材で作られた人形たちは、
照明によって影が落ち、複雑な表情で訴えかけてきます。
道具としての彼らは、良くも悪くも道具としての性質を
手放すことはありませんが、人の手が入った瞬間に
その機能はよりよく活きることとなります。

観賞用としての美しくきれいな人形とは違って
時にひどくいびつに見える彼らは、
ステージの照明に照らされ、動かされた時に
驚くほど美しく見えます。
それは人間の表情のように複雑に見えるように、
予定された動きに合わせて作られているからです。


IMG_2576.jpg 

ネヴィルさんとミスターロスト。

この舞台を通して学んだことはあまりにも大きく、
またたくさんで、まだまだまとめきれません。
劇人形のような、と比喩されることもあった私の人形は
ネヴィルさんの論理から言えば、
やはり観賞用の人形に分類されるものと
はっきりしたような気がします。
そもそも役割が違うために構造も違うのです。

ただもしこれから、私が劇人形を作るような
そういった機会があるならば、
意識した人形作りができるような気がします。
また、劇人形の表情の作り方を意識して
意図的にそのように見える人形の作り方も
できるはずなのではと思います。

突き動かされた情熱を今持て余していて、
そして考えが止まらなくてすごく疲れています笑
強い刺激に触れて、興奮しています。
気が休まる時間が今とてもほしいですが、
ある意味でそれは幸せなことかもしれません。


それではまた!
スポンサーサイト